過去の裁判やその他私の趣味

過去にあった企業の裁判や個人のユニークな裁判に関する話題を書いていきます。また、植物が昔から大好きですので、こちらにもちょくちょく記載していきたいと思います。

裁判だけが解決策ではない

企業は利潤追求をするとともに、法律を遵守しなければならないという法的コンプライアンスを持っています。これが確実に行われなかった場合には、刑事、民事を問わずその責任が追及されることになります。

民事ではよく起こりうることですが、例えばA社からB社に製品を納品したものの、製品がB社の要求水準に達していなかったためにA社からB社に対して全額支払いを行わなかったという例です。この場合には、A社に責任があるように思われますが、そもそも納品されるべき製品について製品の完成水準についての明文化した取決めがあったのかどうかということについて問題になります。

もし明文化された契約書が存在しているのならば、B社に瑕疵があったということになるのですが、たまたまB社は職人気質の工員、Cさんを雇用していたので、A社の要求水準に応えられる製品の製造が可能だったというだけで、実際には明文化された規定はなかったとします。

ただ、この場合でもA社はまた元請けのD社に納品できなかったことで、D社からも請求をされています。このように各企業を巡っての権利関係がおのおの違っている時には、企業間で裁判が発生し、紛争を解決しようとする動きとなることがあります。

裁判は紛争を順当に解決し、お互いの利益を正当に守るための権利です。上記の場合、法的には何も契約書上定められていなかったのが、商慣習によってB社はたまたま義務を履行していたことでトラブルにはならなかったわけです。

A社は損害を被ったことは間違いないのですが、それがB社の責任であるということを法的に立証するのは難しいかも知れません。これからA社がB社に何を求め、どのような義務の履行を求めていくのかは、裁判という法的な手段が最も適していると言えます。

裁判は、弁護士同士が義務権利関係を双方の代理人として主張しますが、必ずしもどちらかの全面勝訴ということにならないことが多いです。

裁判には有効な証拠が全部提出されるとは限りません。したがって、双方に何らかの思い込みや瑕疵があった場合には裁判官による和解勧告が行われます。

企業間での争いの場合、必ずしも全面的に双方で争い合うことが望ましいわけではありません。今後の取引を考えるとわかいが望ましいばあいもあれば、その前に当事者同士で話し合うという選択もあります。紛争を大きくしないことも解決方法としては大切です。裁判を起こすことばかりが解決の円満な方法にはなりません。まずお互いの弁護士に相談することも企業間では大事です。

裁判ではしっかり証拠をそろえることが大切

裁判というと、民事では双方の法定代理人弁護士がいて、原告側弁護士が主張する論点を被告側弁護士が論破していくという法的な闘いです。これには証拠書証が必要だったり、証人を喚問して、どちらの主張が正しいと認められるものかという、証拠をまず原告側が提出しなければなりません。つまり、原告は被告人が原告に何らかの義務があるということを法的に立証しなければならないのです。

被告側が義務を負っているというその説明責任はまず原告にあり、原告側が証拠を提出した後、被告側が反論をして被告人として合理的な納得のいく法的な証拠を提出するという手続きが何度か行われます。

ここまでは、総論的な話ですが、具体的イメージが湧きにくいかも知れません。よくある訴訟の典型としては、不法行為による損害賠償請求訴訟があります。例えばA社がB社と取引きをしていて、B社が納期までにA社に部品を納入することになっていたのに、B社は納入することができなかった。その結果としてA社は別の取引先のC社から取引きを停止されてしまい、金銭的な損害を被ったので、A社がB社を訴えの対象にするというものです。

これが一般的な流れになるのですが、対個人としては、これも例ですが、結婚している夫Aが、不倫をしてC子と肉体関係を持った。妻であるB子は離婚訴訟を起こして夫AとC子の双方に不法行為による損害賠償請求を行うというものです。肉体関係を持ったという事実を立証するのに、興信所に依頼してホテルに入っていく2人の写真を証拠にしたり、2人の不倫関係を証明するメールやラインのやり取りのプリントアウトが証拠として提出されることがあります。

個人が個人に対して訴訟を起こすのは、こういった個人間の不法行為を追及する場合が多いのですが、離婚の場合は日本では調停前置主義と言って、離婚調停が不調となってからの裁判になります。調停から裁判に至るまでを弁護士に依頼すると、損害賠償額にもよりますが、100万円程度は成功報酬を含めて弁護士に支払わなければならないでしょう。訴えの内容を多忙な弁護士に理解してもらうのに弁護士に対してまず、用意した証拠を提出しなければなりませんし、打合せのために何度も時間を取られます。弁護士によっては出張に別途料金がかかります。

きちんとした証拠があるのならば、本人訴訟を起こして損害賠償請求訴訟を提起することも可能です。裁判官、書記官は本人訴訟ということを理解しているので法的な援助、理解をしてくれることが多いものです。勝てる見込みが強い裁判ならば、本人訴訟を提起してみることも検討してみても良いでしょう。

日本でも懲罰的な慰謝料を導入

アメリカの裁判を見ると、慰謝料の金額がかなり高いことがわかります。億単位の慰謝料は平気であり、企業としてはかなりの恐怖、リスクとなります。こうした背景があるため、簡単に非を認めないというのがあります。非を認めてしまえば、下手をすれば、億単位、それ以上の慰謝料になってしまい、企業にとって大きな影響を与えざるを得ない事態になってしまうからです。日本の裁判は今のところ、こうした懲罰的な慰謝料というのは少ないですが、段々と登場し始め、それが企業にとってかなりのリスクになっていることが考えられます。

日本の慰謝料の概念として、損失の補てんというのがあります。誰かに被害を受け、その被害を回復させるために必要なお金が慰謝料となります。この被害の度合いを巡り、被害を与えたとしてもそこまでではないと主張する企業側、確実にかなりの被害は受けているからこれくらいの慰謝料は必要だと主張する原告側が裁判で激突します。アメリカの場合、損失の補てんは当然とし、懲罰を与える意味合いで慰謝料を上乗せする傾向にあります。損失そのものはさほどなくても、懲罰となる慰謝料がかなり増えてしまうのがアメリカの特徴です。

懲罰的な慰謝料の狙いとしては、抑止力があります。パワハラが近年問題になっていますが、仮に裁判で訴えられたとしても、その金額がわずかであれば、他の企業としてはそこまでパワハラ対策をする必要に乏しく、リスクではあっても、そこまでのリスクではないと感じます。ところが、懲罰的な慰謝料により、多大な損害、リスクが生じるとわかれば、こうしたリスクを回避しなければならないという力が働き、パワハラがないようにする努力をするようになります。こうしたことを促すためにも、抑止力としての懲罰的な慰謝料という概念が存在することとなります。

今までの裁判ではリアリティのある賠償金が提示され、お金ではなく、被害に遭ったことを認めさせることがメインとなっていました。ところが、日本でも段々とこうした概念が取り入れられ、国民感情の高まりも相まって、成敗することへの期待が高まっています。そうした流れを受け、懲罰的な慰謝料の導入はパワハラや過労死などの抑止につながることが考えられます。また、ネット上の言論などで不用意に傷つける行為についてもこうしたものが導入されれば、確信的に行われる不法行為を減らすことができ、健全な空間を築き上げることが可能となります。

日本も訴訟大国に近づきつつある

アメリカは訴訟大国と言われ、ちょっとしたことで裁判を起こす個人が多くいます。日本でも段々と裁判を起こすことに抵抗がない人たちが増えるなど、日本も訴訟大国に近づきつつありますが、それでも現実的なものがほとんどです。日本やアメリカであった面白い裁判、そして、なぜそんな裁判を起こすことになったのか、その真意を知ると、一見すれば理解しがたい裁判でも納得できることもあります。特にアメリカは面白い裁判が非常に多く、その単純さなどを知ることができます。

例えば、ビールのCMにおいて、これを飲めばファンタジーを現実にできるというキャッチコピーが流され、それを虚偽広告として、そのビール会社に訴えを起こした個人がいました。当然ながら、その訴えは退けられることになりましたが、その人曰く、子供がCMのキャラクターが好きになり、このままではアルコールにハマってしまうから何とかしなくてはという思いで裁判を起こしたと語られています。確かに気持ちはわかるものの、物事の分別は大人になればいずれわかることであり、そんなことでアルコールにハマるとは考えにくいのが実情です。

日本では、クイズ番組の答えを巡り、裁判に発展したケースがあります。食べ物の名前の由来に関する4択の問題が出題され、解答者はこれを外し、数百万円を獲り逃してしまいます。しかし、調べてみると、解答者が選んだ解答も諸説の1つに含まれている、だからこれが正解なのではないか、だとしたら、数百万円をもらえないのはおかしいということで裁判に発展しました。食べ物の名前の由来の文献を調べた結果、番組側が用意した解答の説が大多数を占め、解答者が示したものはわずか1つだけであったため、退けられる結果となりました。

クイズ番組のケースでは、正解の決定権を設定できるのは出題者側であるというのが裁判で示されました。そして、訴えを起こした側は解答が知りたかったと述べ、控訴をせずに決着を迎えました。このように、本当にお金を求めているというよりも、精神面、心理面のことで訴えを起こす個人がこうしたユニークな案件を持ち出すことがわかります。

最近ではリスク回避のため、訴えられたり、クレームが入ったりしないよう、予防線を張る企業などが増えています。しかし、精神面、心理面の問題はこうした予防線は通用しません。むしろ、こうしたものが新たな課題、アイデアを生むこともあるため、すべてが悪いということでもないのが実情です。

裁判における企業への影響

企業の経営においてはコンプライアンスが前提となりますが、極限まで利潤を追求する限り揉め事が発生してしまうこともあります。その際には裁判にて決着つけなければならないケースも存在します。民事裁判に関しては会社と会社で争うケース、会社と顧客で争うケース、会社と第三者が争うケースがあります。会社と会社が争う裁判ではその決着がなされなければ事業を進めることが出来ないので、裁判を起こさないという選択肢は取りづらくなります。企業は基本的にリスクを回避しようと考えるので和解が成立するパターンも多いです。争ったことによって消費者からのイメージが悪くなることはあまりありませんが、株価は大きく変動します。会社と顧客が裁判になるケースでは、企業の製品が消費者に何らかの不利益をもたらしてしまったパターンが多いです。製品の整備不良ならば起訴されることは少ないですが、消費者に健康上の被害が発生した場合は刑事裁判になることもあります。その際には起訴されてしまった時点でイメージダウンを避けるのは難しくなります。そのため、多くの企業では不具合が発生した時点でリコールや返金、無料修理などを行って影響を食い止めようとします。日本よりも起訴される数が多いアメリカでは企業が製品の注意書きを増やして、訴えられるような要素を事前に排除しています。消費者としても裁判には多額の費用と長い時間がかかるので、他の解決手段があればそちらを選択したいと考えるケースが多いです。会社が顧客でない第三者と争うケースとしては名誉毀損やプライバシーの侵害などが多くなっています。この場合、原告側の目的は賠償金をもらうことではなく、裁判にて根本的な問題を解決したり、世間の誤解を解いたりすることにあります。そのため、事前に対処しようとしても裁判を避けることは非常に難しいです。しかし、原告としても訴えることにより、多くの方の関心事となってしまうことを避けたいというケースがあります。訴えることで時間的に拘束されたり、自身のイメージに影響が出てしまうからです。昨今ではアニメやゲームの著作権、著名人に対する名誉毀損など、裁判になれば勝てる可能性のある事例がいくつもインターネット上に発生しています。しかし、それらを1つ1つ解決していくことは容易ではなく、事を大きくすることのデメリットもあります。それゆえに企業にとってはある程度目をつぶらざるを得ない状況もあるということです。

パロディー商品に関する裁判

北海道にある製菓会社と大阪の有名なお笑い界の大手企業が訴訟を起こしたことがあります。
製菓会社の製品は、北海道でも有名なお土産として全国的にも知られている焼き菓子です。ラングドシャクッキーとホワイトチョコレートのコンビネーションで年代を問わず人気をえている商品です。
他方の企業の子会社が2010年7月から発売した商品は、関西をイメージしたみたらし味のゴーフレットでした。
なぜ裁判が起こったかというと、製菓会社の出している商品のパッケージと類似したパッケージで名称をもじった製品を販売したためです。製菓会社側がこれに対して、商標権の侵害と不正競争防止法を根拠とする商品販売の差し止めを求めました。ことの発端は、パッケージが類ししているために製菓会社の製品と間違って購入したという購入者からのクレームでした。これにより、製菓会社が北海道地方裁判所へ提訴することになります。
しかし、この裁判が話題になり訴えられたほうの商品売り上げがうなぎ上りになるという現象が起こります。この現象は、訴えられた企業側も予想外のことで当時の広報担当者も複雑な心境を語っていました。
製菓会社では、その売上げから換算された金額をもとに裁判での損害賠償額を決め、企業側との交渉がおこなわれます。その結果、2013年に双方の間で和解が成立したのです。
その後、製菓会社は北海道の人気商品としての地位を守りつづけ、訴えられた企業もパッケージのデザインを変更したうえ関西の6府県に限定した販売に変更しています。
このようなパロディーともいえる商品が、裁判沙汰になることはよくあることです。パッケージがあまりにも酷似していたり、紛らわしい名称だったりすると消費者が間違って購入し消費者に迷惑がかかってしまします。
しかしながら、パロディー商品に関する明確な規定がないため、どこまでが許容範囲といえるのかが難しいところです。
パロディー好きの人にとっては笑って済ませられることでも、実際に他人に迷惑が生じる場合は問題になってしまいます。
過去にあったこの裁判は、「おかし」だけにおかしな裁判として笑ってすますことができる裁判ではなかったようです。
和解後の双方の見解も訴えられた方の企業では和解を喜ぶ見解が出されていましたが、製菓会社ではこのまま裁判をおこなって話題性が高まれば売上げが上がって得をするのは被告側だという恨み節の見解をだしていました。
度が過ぎた商いは、パロディー好きの大阪人だからと笑って済ますことができないということでしょう。

情けないけれど面白かった裁判

裁判の傍聴をしたことがある人はどのくらいいるでしょうか。大きな事件の裁判であればテレビ中継で傍聴希望者が列をしている光景を映し出すこともあるので、結構たくさんの人がいくんだな、と思ったことがある人もいるのではないでしょうか。今回はちょっと情けないけれど、過去にあった裁判で面白かった!と心底笑ったものがあります。それは下着泥棒をして掴まった犯人の裁判でのことでした。犯人は知り合いの女性の家のベランダに忍び込んで下着を盗んで逃げる、ということをして警察に捕まったのです。それが盗み取った下着に顔を埋めている状態で不審者として逮捕されたので言い逃れは出来なかったのですが、裁判が始まると驚くべき事実が発覚しました。
裁判官が犯人に言います。「あなたは盗んだのが下着だとわかっていましたね?」犯人ははいと答えます。すると裁判官が、「ではそれが男性の下着であったということは知っていましたか?」犯人はうな垂れます。実は女性の下着だと信じ込んで盗み取ったはいいのですが、実際には男性の下着だったそうなのです。狙っていた女性の彼氏のもので、一緒に洗濯して干していたのでしょう。それに顔を埋めていたところを見付かっているのでいたたまれない空気がその場に広がりました。更に裁判官は聞きます。「それはいつ知りましたか?」そこって大事なのだろうか、と思いますが、聞かれた犯人は答えます。「逮捕時に警察官に教えて貰いました。逮捕前に下着の臭いをかいだのがトラウマになりました」。そこで裁判官、一言。「嗅いじゃったかあ~」。つい出た一言なのでしょう。しかしこれで笑いを抑えるのが困難になりますよね。きっと皆笑います。結局犯人は知らない男の下着に顔を埋めて掴まり、前科がつくというどこに出しても恥かしい体験をしたわけです。捕まえたときの警察も少しばかり気の毒に思ったかもしれませんね、まあどう考えても自業自得なのですが。実際にはこの犯人はバイト先の鍵のついてないロッカーからバイトの同僚の女の子の家の鍵を盗み出してコピーしているので、結果的には自業自得にようになっていますが大変危ないことなのです。もしも下着泥棒ではなくて乱暴を働こうと思って潜んでいたならどんな結果になっていたかは判りません。大変危険な話なので、仕事先に鍵や財布などを入れるのであれば、鍵がかかるロッカーは必要だなと思いました。女性も男性もこれは気をつけなければなりません。