過去の裁判やその他私の趣味

過去にあった企業の裁判や個人のユニークな裁判に関する話題を書いていきます。また、植物が昔から大好きですので、こちらにもちょくちょく記載していきたいと思います。

どうなるの??出光

どうも、よろしくお願いします。

最近ネタを作るよりもニュースを見たり記事を読んでいる時間の方が多くなってきてしまいました。このままだと林修みたいになってしまいそうです。それで良いのか?良いでしょ。

良くないか。

 

以前にも書いたんですが、出光興産でお家騒動が勃発していますね。

出光興産と昭和シェルの合併を巡って出光創業家と経営陣が争っているケースなんですが、未だに決着が付いていないんです。

合併に反対している創業家は出光の大株主(33.92%保有)なので合併決議を単独で否決出来たんですが、これに対して経営陣が公募増資という策に出ました。

どういう事かと言うと、公募増資で発行済み株式総数の3割に当たる株を発行する事で創業家の持ち株比率を26.09%にまで低下させて単独で否決出来なくするんです。

もちろん、この創業家の持ち株比率を下げる事を目的とした公募増資は不公正なので経営陣は国内事業基盤の強化等もっともらしい主張をしていたんですが、このタイミングでの公募増資は創業家排除が主要な目的である事は誰が見ても明らかですよね。

という事で創業家は東京地方裁判所に新株発行差し止めの仮処分を申し立てましたが、これは認められませんでした。

このお家騒動最中での公募増資ですから、どう考えても創業家の持ち株比率を下げて合併を進めるための強硬手段だという見方が自然だと思うんですが、裁判所はなぜ経営陣の主張を信じたんでしょうか。

それと他に気になる点は、公募増資が行われると創業家の持ち株比率が下がるだけでなく他の株主にも損害が出てしまうという事です。株主の方たちはどう感じているのでしょうか。

そもそも、今回のこの公募増資は発表のタイミングがすごくひどかったみたいです。

直前で株主総会があったにも関わらず、そこでは公募増資の件には一切触れられずに株主総会の直後に発表されたらしく、ほとんど騙し討ちのようなやり方でした。

経営陣はなんとしてでも創業家を排除して合併を成立させるために必死な感じですね。

 

今後、出光興産はどうなるのでしょう。

創業家の意向を無視して合併して会社の未来に光がさすとは考えにくいですね。

そもそも創業家が合併反対している理由が出光と昭和シェルの企業理念の違いですし、理念の違う企業同士が合併したらどちらかが犠牲になり内部で混乱が生じるのは目に見えています。

是非とも良い形に収まって欲しいです。

 

今だからこそ笑える裁判

世の中には本当にいろんな人が居て、どうしてこんなことしちゃったんだろうか、どうしてこんなことを問題にしたんだろうとか思うこともあると思います。
新聞やテレビなどを見ていても、思わず笑ってしまうようなことありますが、本人にとってはいたって真剣なことだと言うこともあるでしょう。それが実際に裁判などを起こして、決着をつけたいと思っている人がいるということ自体が、滑稽なぐらいあるわけです。
過去にあった判例ですが、本当にこんな事が裁判にあるのか、裁判であったのか、ということもあるわけです。
また過去にあった裁判の中でも、裁判長とのやり取りで滑稽なものや面白いものも沢山ありますが、弁護士さんとのやりとりや検察官とのやりとりの中でも、真剣な裁判であるからこそ、面白さが後になってわかるようなものもあります。
例えば、「あなたにお子さんが居ますか」と聞かれて「はい、います」と答えたとしましょう。
「そのお子さんは男の子たちですか」と聞いて「違います」と答えたのにもかかわらず、「では女の子ですか」と聞いてきたときというのは、一見何も思わないかもしれませんが、男の子ではないと答えているのですから、女の子が答えなのに、普通に聞いてくるところが面白いと思いませんか。
他にも、ビールに関する事件でビールの泡も実際のところ、ビールなのかということを真剣に争った事件があったらしく、裁判所も扱ったらしいのですが、大分昔の話とはいえ、過去に実際にあった判例で、きちんと答えが出ています。
滑稽だと思っても、本人にとっては真剣な話だったのでしょう。裁判にまでして結果を求めたいというのはよっぽどのことだったんだなと思います。
他にもトマトは野菜なのか果物なのかという訴訟がありました。一体どういう目的で裁判を起こしたのかはわかりませんが、結果的には野菜だという結論に落ち着いたわけです。
これをしたからといって、何の得があるのかはわかりませんが、裁判というのは時には具体的な結果ではなく、本人の自己満足やもしくは当事者しかわからないようなことで訴訟をする事もあるんだなってことがわかります。マクドナルドでコーヒーをこぼした時にその温度が熱すぎたなどで訴訟を起こしたりなど、アメリカでも面白い裁判がいっぱいありますが、日本だけでなく外国でも本当に面白い裁判は少なくないのです。
過去にあったからこそ事実であり、今だからこそ笑える裁判ですが、かかわった人たちは真剣そのものだったんでしょうね。

過去にあったユニークな裁判

毎日、非常に多くの裁判が日本各地で行われています。裁判所にいくと、その日に行われる裁判のスケジュールが記載された資料を閲覧できます。裁判の傍聴を趣味としていて、頻繁に聞きに行く人も珍しくありません。大きな裁判所では、複数の裁判が並行して行われます。傍聴を趣味としている人は、最初にスケジュールの資料を見て、傍聴する裁判の絞り込みを行うのです。傍聴したことがない人は、何が面白いのか分からないのではないでしょうか。裁判はドラマのようなシリアスな内容ばかりではありません。耳を疑うような変わった内容の裁判も多く行われています。
特に世界では、日本では考えられないような裁判も多いです。たとえば過去にあったユニークな裁判として、自分自身を訴えたものがあります。飲酒が原因で逮捕された人物が自分自身を訴えたのです。理由は自分の自由を、自分が奪ったことです。自分自身に賠償金を支払うことを求めたのですが、それにどのような意味があるのでしょうか。支払い能力がないので、所属する自治体が支払うべきだと主張したのです。つまり自治体からお金を受け取ることが目的ということです。
足の臭さが理由で退学に追い込またことを不服とする裁判もありました。周囲の学生や教師から足の臭さの苦情が相次いで、退学を言い渡された学生が過去にいたのです。それだけでもとても珍しい出来事ですが、その続きの展開も非常に珍しいものになりました。担当の裁判官がその訴えを認めたからです。これにより、その人物は無事に復学することができました。判決の理由は、周囲の人は鼻を塞いで我慢をすれば良いということです。
またCMに出ている女性が現れないことを訴える裁判が行われたこともあります。ビールを飲めば美女が出現するような演出がされているCMでした。ビールを飲んでもその通りにならないことを不服として裁判を起こしたのです。普通であればそのような解釈はしないので、裁判では当然勝てませんでした。その他にも、お化け屋敷の怖さがアミューズメントの限度を超えているとして訴えた裁判も過去にありました。こちらの裁判では精神的なダメージを負ったとして、慰謝料を勝ち取ることに成功しています。
このように過去にあった裁判の中には、非常にユニークなものが沢山あります。興味がある人は文献などを調べてみると良いでしょう。また傍聴に頻繁に出かければ、そのような裁判に遭遇するかもしれません。

 

仁義なき裁判が与える影響とは

訴訟社会の米国では、公開直前の映画が差し止めを食らいかねないような、仁義なき裁判も行われます。原作の熱狂的なファンたちが長年待ち焦がれたSF大作が、撮影もほとんど終わり、あとは編集等を経て公開を待つばかりといった時期に、その作品の映画化権を先に獲得していた映画会社が、実際に製作した会社を相手取って、映画化の権利を侵害されたという訴えを起こしました。映画化権を先に獲得していた会社が製作せずに、他の会社が完成させたという経緯には、過去にあった因縁が絡む複雑な背景があるのですが、他社が作った今も、映画化の権利自体は先に獲得していた会社が正式な持ち主のままということで、要は「公開したいのであれば、それなりのお金を払うべし」といった要求を認めさせるために起こした裁判でした。判決によっては、映画の公開が危ぶまれる事態にもなりかねないだけに、世界中のファンがやきもきと推移を見守りました。
裁判の結果はなんと、訴えた側の、先に映画化権を獲得していた会社の言い分が認められ、裁判所の判決では、実際に映画を作った会社に、ほとんど撮り終えていた映画の製作差し止めを言い渡し、そのまま公開したいのであれば、正式な映画化権の持ち主である会社から、権利を買うことを命じるものでした。結果的に、映画化権そのもののやりとりではなく、映画公開によって得られる全収益から、それなりの額を賠償金として支払うといった方向で決着しましたが、勝訴したほうの、先に映画化権を持っていた会社は、実際には製作しなかったにもかかわらず、権利を持ち続けていたことが認められたというだけで、かなりの収益を獲得することになりました。
肝心の映画の興行収入は、前評判の高さのわりに、あまり振るわないものでした。原作のカテゴリとしてはヒーロー物のアメコミといった面もあったのですが、他のヒーロー物と違い、正義が悪と戦って勝つといったような単純明快なストーリー展開ではなかったこともあって、日本でもあまり評判にならないままとなってしまいました。そもそも、映画化の話が持ち上がった頃から、原作者が映画化を認めないなど、騒動が絶えなかった作品ですが、過去にあった他の映画の裁判と比べても、かなり後味が悪い結果となってしまい、勝訴したほうの映画会社も評判を落とすことになりました。映画が大ヒットしていれば、二大映画会社が映画化権を巡って争ったほどの大作として箔を付ける話題の一つになったかもしれない裁判ですが、「権利」の難しさのみ痛感された結果となりました。

 

 

特徴的な内容の裁判も多くある

テレビや新聞などで裁判が話題になる事は少なからずありますが、その中には非常に社会的な話題になるテーマのものが少なくありません。しかしながらそのように報道の対象とならない裁判と言うものもたくさん存在しています。様々な事情により裁判所に訴え出るケースが非常に多く、それらの中にはかなり特徴的なものもあるのです。
基本的には裁判と言うものは訴えに対して裁判所が何かしらの判断を下すことを目的としています。その内容が過去にあった前例に沿っているものであれば、訴えられた側の言い分もしっかりと聞いた上で判決を下すことになるでしょう。小規模な裁判の場合には訴えられた側が出席せずに裁判が行われるケースもあります。そのような場合は欠席と言う扱いになるため、訴えた側の言い分が全面的に通ると言うことになるのです。そのため訴えられた場合には自らの言い分を裁判所に申し出ると言うことがとても大切になります。
もちろん裁判で訴えることができる内容についても様々な制限がありますので何でも思った通りに歌えることができるわけではありません。どのように訴えるのが適切であるのかについて判断することができる人は少なくありませんので、後にあった前例をもとに適切な判断をすることができる専門家の力を借りて適切な訴えをするように心がけると良いでしょう。過去にあった事例であると言う事は大きな追い風となりますので知っておくべき内容であるといえます。
実際のところ裁判所では毎日のように様々な種類の裁判が実施されています。それらのほとんどは世の中に知られることなく判決が下されていくものになっていますが、それらの中にはかなり特徴的な内容を持っているものもあります。第三者から見ると非常に些細なことであっても裁判の扱いになることもありますし、非常に興味をそそられる内容で行われているものもあります。それらの情報についても全てが記録されて裁判所の判断事例として扱われていくことになるのです。
裁判所でどのような問題が審議されて結審されていったかということは、今後行われていく裁判についても非常に重要な役割を果たしてことになります。裁判と言うものはこれまでにどのように判断されてきたのかと言う過去にあった事例が重要な指標となる仕組みになっていますので、前例が重視されるものであるといえます。そのような特徴を知っておくことによりどのような内容であれば裁判に勝つことができるのかということを考えていくことができるのです。

裁判のお話。 事件のお話。

裁判のお話。

裁判の傍聴が人気になった時期がありましたよね。

今でも人気があるのでしょうか?

 

どういう事件の傍聴が人気あるか調べてみました。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1419549159

レイプの事件ですか…何か、残念ですね。

どういう気持ちで聞きにいっているのか。

とはいっても、どんな事件の傍聴だって、どういう気持ちで聞きにいっているのかという風になりますね。

 

http://harukin.com/blog/2012/11/04/%EF%BB%BF%EF%BB%BFcourt_hearing/

傍聴をしてみようかな、気になるなという方はこちらを。

 

殺人の裁判を傍聴してきたという記事を読みました。

どうしてその事件が起きたのか、事細かく知る事ができる。

目の前にいる被告が殺人犯ではなくちゃんと1人の人間に見えるという。

報道のされ方と事実の違いがわかるそう。

そういった事を普段考える機会もないですから、行ってみるのはいいかもしれないなと思いましたよ。

 

裁判、傍聴について調べているとそれだけでも恐ろしい数の事件があることがわかりましたが、書かれている何倍何十倍もの事件が起こっているのでしょうね。やりきれないです。

 

事件のお話。

 

身内で揉めるというのが一番残念だなと思うのです。

2015年にあった、大塚家具のお家騒動。父と娘による経営権争い。

一言で言ってしまうと、単なる親子ゲンカになってしまいますが、経営に対して思う事も違ったり色々あるのでしょう。しかし、家族なんです。仲良くやって欲しいなと思うのです。

とはいっても、上に書いたような裁判の話で、いくらでも家族間での殺人事件等もありますし難しい所ですね。

セブン&アイ・ホールディングズは、前会長と社長の対立で、創業者による反対があったそうです。家族ではなく、単に会社内での問題ですね。

出光興産でも、昭和シェル石油との合併に対して、創業者長男が私財を投じて合併阻止を画策したそうです。

どっちが正しい、何が正しいというのはわかりませんが、創業者に相談なしに進めたのだとしたら良くないですね。納得してもらってから進めるべきだと思います。

しかし、納得しなかったら???株主の利益を考えていない時点でもう株主の信用は落ちている気がしますが…。

決着が着くまで話しあいは必要かと思いますね。無理に強引にというのは良くない。

どんな事件においてもそうです。起きないようにはできるのではないかと思うのです。

起きないようにする、のではなく、起こさない、ということです。起こした本人が。

殺人を起こらないようにするには、ではないのです、殺人をしないことです。犯人が。

ただそれだけのことなんですけどね。

長引いてもいいことはない企業の裁判

裁判は被告にとっても原告にとっても長い戦いとなります。個人であればそれだけ時間がとられ、本業にも支障が出てきますが、その点、企業が裁判に関与することになったとしても、顧問弁護士などに任せておき、法務部など担当者が行えばいいだけなので、別段影響があるわけではありません。しかし、ボディーブローのように裁判の影響は出てくるため、できるだけ短い期間で終わりにしたいと考えるのが普通です。企業にとってリスクでしかなく、裁判にならない段階でいかにリスクヘッジをしていくかということも企業経営の中で問われていくことになります。

企業間の争いごとであれば、同業他社とのトラブルが主たるものとなります。同業他社はライバル関係にあり、シェアを少しでも奪うため、相手に対するダメージをいかに与えていくかもまた戦略です。その戦略が行き過ぎたものになると、争いごとに発展します。ただ、この場合はあまりダメージになるということは考えにくいのが実情です。例えば、相手の商品なんかを買っても意味がない、うちの商品であればあなたを幸せにできるというような攻撃を仕掛けた場合、相手への攻撃が苛烈なものであれば、その部分が取り上げられることになるからです。

裁判で相手への攻撃の部分がクローズアップされれば、相手の企業は被害者ということになるため、被害者側からすれば正当な行為であり、それが原因でイメージが下がることはありません。むしろ誠実な対応をしていれば、逆にイメージが上がります。反対に相手を攻撃したカウンターで、攻撃して打撃を与えた分と同等、もしくはそれ以上のマイナスを負うことになってしまい、結局のところ、その効果はマイナスになってしまうことが言えます。このような争いごとというのは、仕掛けられた側としても大人の対応に終始し、決してやりあうことをしなければ何の問題もありません。

長引いていいことがないのは消費者とのトラブルです。例えば、製品によりケガをしてしまったが、その責任は会社側、消費者側、どちらにあるのかというようなものは、長引けば長引くほどいいことはありません。勝ったとしてもその対応に疑問を持つ消費者は多く、プラスにはなりませんし、もし負けてしまえば経営に大きな影響を与えます。消費者とのトラブルになれば、勝ちのない試合を戦わなくてはならず、大変です。だからこそ、争いごとをできるだけ避ける形で経営が行われることとなります。